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2017.07.11

コラム|アーティストと劇場の協働がもたらす可能性(宮崎)

はじめまして。宮崎県立芸術劇場 演劇ディレクターの立山ひろみです。劇作家・演出家として、現在は、東京と宮崎を拠点に活動しております。

板子乗降臨
宮崎を舞台に、その土地で生きる人々を描くシリーズ「新 かぼちゃといもがら物語」
第一回公演『板子乗降臨』

宮崎県出身。東京の大学で演劇について学んだ後、劇団黒テントに入団し、演出デビューしました。2009年に独立してひとりユニット「ニグリノーダ」の旗揚げ公演を行い、オペラシアターこんにゃく座や、劇団うりんこなどで演出させて頂いたり、キラリ☆ふじみの主催する、市民によるキラリ☆かげき団の演出などや、ワークショップを行っています。

前任の永山智行さんから、たくさんの事をご教授頂いたのですが、なかでも「宮崎県立芸術劇場が、県の劇場であり、けれども、宮崎市にある」というお言葉を訓戒にしています。

公共劇場の中でも、県の劇場と、市町村の劇場では、やれる事、やるべき事が、さまざまに異なるからです。宮崎県立芸術劇場の演劇・ダンスのプログラム、および、講座の構築が大事な仕事でありましたが、同時にもっと「広範囲な仕事」として、就任時考えたのは、「どこの劇場に、どのアーティストが関わっているか」という点です。

宮崎県がとても広域なので、宮崎市にある、宮崎県立芸術劇場に気軽に来られない県民の方々にとって、舞台芸術をどう身近に感じて頂くか。その方法に関しては、宮崎で活躍されている実演家の方々、また、あらゆる会館の方々と協力して、一歩一歩歩んでいこう、という事を考えました。

ロミオとジュリエット
“虹の架け橋事業”ロミオとジュリエット

昨年から始まりました「こどももおとなも劇場」は、当劇場と、宮崎県内の会館で上演して頂けるよう、“虹の架け橋事業”というのを行っております。昨年のカンパニーデラシネラ『ロミオとジュリエット』は、小林市文化会館で、今年度のオペラシアターこんにゃく座オペラ『森は生きている』は門川町総合文化会館で上演致します。

また、同じく昨年から始まった講座「アートな学び舎」では、単独の講座をご用意し、昨年度は「からだでコミュニケーション」を都城市総合文化ホールMJと合同で。今年度は「わくわくドキドキ親子で体操」を、小林市保健センターでも行います。宮崎県立芸術劇場の事業で、他館にもご協力頂けるところは、届けていき、他館がどういう活動をされているか、という事に、リーチしていくというのが大事だと考えています。

アーティストや会館の方々にヒアリングをさせて頂きました。永山さんの主宰されている劇団こふく劇場が、三股町立文化会館と門川町総合文化会館とクリエイションも含め協働作業をされていますし、延岡総合文化センター劇団ぐるーぷ連の実広健士さんがシニア劇団をやっていらっしゃいます。

宮崎市民プラザや、サンA川南文化ホールは、劇団ペテカンの本田誠人さん、ユニット「あんてな」のプロデューサー本田泉さんが、協働でクリエイションされていますし、都城MJホールは、アーティストではないですが、敏腕プロデューサーの松原正義さんがいらっしゃるので、本当に市町村の公共劇場として、見本となるような活動をされていると思います。小林市文化会館は、劇団25馬力が活動拠点にされているので、昨年の『ロミオとジュリエット』でも大変ご活躍頂きました。

こんなにも、劇場とアーティストが、手を組んで、きめ細やかに演劇なりの創造事業を行えているのは、とても素晴らしいと思います。
私自身は長年、関東圏での公共劇場のあり方に触れる機会が多かったのですが、地域によって、当然環境が違い、課題が違うので、参考にならないという印象もありました。

しかし、ヒアリングを重ね、いろんな地に足を運び、前述のような、アーティストと劇場の協働関係を鑑みるに、宮崎で起こっている事は、日本全体として考えても、他地域に対して十分に誇れる「素敵」な事だと思いました。アーティストが、劇場についていると、劇場自体の顔が見えるので、演劇を志したいというような場合も、私がこどもの頃よりも身近に、モデルがいる、という環境が創出されているのではないかと思います。

トライアル・シアター2016
演出家、振付家、音楽家が宮崎に滞在し、
一般参加の出演者らと約1週間の創作期間で舞台作品を作り上げる
「トライアル・シアター」

もちろん、まだまだ劇場に足を運んだ事がない、という県民のみなさんもいらっしゃるかと思いますが、今年度も、一人でも多くの、みなさんに、自分のこととして、愉しんで頂けるように、演劇・ダンス事業のプログラムを行いました。昨年のシーズンテーマが「骨をたしかめる」。今年度のシーズンテーマは「呼吸をととのえる」です。昨年基盤になる「骨をたしかめ」た結果、いま、必要なのは、忙しすぎる現代に「呼吸をととのえる」ことだと思いました。

ぜひ、今後の宮崎県立芸術劇場のプログラムや、宮崎の演劇、ダンスシーンに引き続きご期待頂けたらと思います。

立山ひろみ(宮崎県立芸術劇場 演劇ディレクター)

2015.07.31

コラム│巻き込み、巻き込まれながら結びつく演劇(宮崎)

宮崎県演劇協会の黒木朋子です。
宮崎の演劇を言葉で表すならば、巻き込み、巻き込まれながら盛り上がっている。
という感じでしょうか。

宮崎の演劇を語るには外せない「こふく劇場」と、これも演劇を語るには外せない三股町立文化会館の、文化事業「まちドラ」は4年目で、チケット入手が困難なほど、盛り上がっています。九州各地から演出家や役者が作品を上演し、町民も作品に参加、町の至る所で演劇が行われるという、町中を巻き込んだ人気のイベントです。
また、企画を中心としたユニット「あんてな」は、東京を中心に活躍する本田誠人氏の作品を中心に、毎回プロデュース公演の形をとり、劇団の枠を越えて役者が参加しています。20140725_203422

こういったプロデュース公演も年々増え、宮崎はここ数年、毎月のように公演が催されるほど、活動が盛んになっています。
世代を越えた交流もあり、客演が多く見られます。
これは、都市部の演劇界ではあり得ないことだそうですが、劇団で公演を行う際、役者・スタッフの人数不足、キャストの年齢層の問題等から、他の劇団等に助っ人を頼まざる負えない事も原因なのかも知れません。
そんな切実な事情とはいえ、横のつながりが強く、いつのまにか巻き込まれながら、新しい作品に取り組める楽しさが宮崎にはあると感じます。
ただ、観客についても劇団員同士で観に行く現状は、どの地域も同じかも知れません。新しい観客も巻き込みたいところです。

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昨年度は、そんな宮崎の演劇人をより強く結びつける年となりました。
宮崎市制90周年の関連事業として、宮崎市の会館主催で、8月9日~10日に『波の上の青い島』を上演しました。これは、宮崎県演劇協会の設立25周年記念公演でもあり「協会加盟劇団の役者による出演で、宮崎市を舞台に・・・」という事で、宮崎(日南)出身の中島淳彦さんに脚本・演出を依頼したもの。

なんと開催当日、台風の接近により県内の公共施設が行事を取り止めるなか、公演初日は、多少無理やりぎみに公演し、台風で来場できないお客様のためには、2日めのの夜公演を急遽追加して、計3回の公演を行いました。この3回目の公演は、半券を持ってくれば無料で入れるというおまけつき。制作期間も、台風のような状況でしたが、そこは各劇団のアイデアで何とか乗り切り、 結果的にお客様にも大変喜んでもらえる作品となりました。

こういった経験が強みとなり、今後は、観客をも巻き込みながら、更にの演劇は止まることなく盛り上がっていくのだろうと思うのです。

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宮崎県演劇協会・黒木朋子

2014.07.29

コラム|不利を利点に切り替えて(宮崎)

梅雨が明けて、いよいよ夏本番です。短い夏を思い切り楽しみたいと思っています。はじめまして、こんにちは。宮崎県立芸術劇場で演劇を担当している工藤治彦です。

おかげさまでここ数年、宮崎の演劇事情は活発になってきています。それを実感させる要因は大きくわけて、1.公演数の増加と2.宮崎を中継地とした九州や日本各地の演劇人の交流の2つです。

まず1つ目の公演数の増加ですが、5年前と比較した場合、おそらく公演数は倍近くになっています(正確に集計したわけではありませんが、、、)。都城市の劇団こふく劇場や小林市の劇団25馬力といった、以前からの劇団に加えて、新規の劇団やユニットなどが誕生してきたことが大きな要因です。もっとも元々の数が少ないので、倍増したといっても把握しきれる程度の数ではありますが。大都市圏のような小劇場施設や、熊本の早川倉庫のような空間があるわけではないため、公立の施設に加えて、古い商店街の路地なども活用して上演がおこなわれています。

2つ目の演劇人交流の象徴的なプロジェクトとしては、三股町立文化会館の「まちドラ!」、当劇場がおこなっている「演劇・時空の旅」シリーズが挙げられます。「まちドラ!」は九州各地から集まったカンパニーや演出家によるリーディング公演等、「演劇・時空の旅」シリーズは九州だけでなく日本各地で活躍する俳優らによる作品創作、とそれぞれの形態は違いますが、いずれも宮崎県外から演劇人を集めて、共同で1つのプロジェクトに関わるという点で共通しています。
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そして、重要なのがこれらの取り組みに関わる県内の人材が共通しているということです。
もちろん、すべてのプロジェクトや動きで関わる人材が共通している訳ではありません。
ですが、お互いが「顔が見える」距離にあるため、それぞれの動きをとらえることができ、結果として、お互いの活動が影響を及ぼしあって、有形無形の波及効果が出ているのです。
人口規模も演劇マーケットも小さい宮崎ですが、それがここでは大きな利点として作用しています。

もう1つ大事な点を挙げるとすれば、外部との交流を積極的に取ろうとしているという点です。積年の願いが実を結び、ようやく高速道路が整うような「陸の孤島」宮崎県では、待っているだけでは誰も何もやってきてくれません。こちらから外に出て行くか、外からやってきてもらえるようにしなくてはならないのです。
ここでも一見すると不利な点が、高いモチベーションという利点に変わっています。

宮崎県立芸術劇場では、昨年から「えんげき・とれたて新鮮市」というプロジェクトを開始しました。この取り組みでは、宮崎で活動する30歳未満の演劇人による「みやざき演劇若手の会」とともに事業の運営を行い、「みやざき演劇若手の会」の短編オムニバス公演と公募によって選ばれた他地域のカンパニーが、劇場施設を会場にしてそれぞれの作品を同時上演します。

また、8月9日、10日には宮崎市制90周年事業の一環として、宮崎県演劇協会25周年事業『波の上の青い島』が上演されます。この公演では、作・演出に日南市出身の劇作家・演出家の中島淳彦さんを迎え、書下ろしの新作を都城市出身の井之上隆志さんとオーディションで選抜された県内俳優で創作上演します。
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首都圏や大都市圏の状況が恵まれていると言っても、各地ともはじめからそうした状況が存在していたわけではなく、先人たちの努力の積み重ねがあって今の形ができているはずです。
宮崎でやっていくことを選んだ私たちも不利な状況を嘆くのではなく、それを逆手にとるくらいの気持ちで、一歩づつ前に進んでいきたいと思います。
まだまだ道半ばです。

(公財)宮崎県立芸術劇場 工藤治彦

2013.02.01

コラム|距離、を思いながら

5年が経ちました。わたしが演劇ディレクターを務める宮崎県立芸術劇場の自主制作公演「演劇・時空の旅シリーズ」、その第1弾、BC411ギリシア『女の平和』が上演されたのは2009年のこと。5年が長いのか、短いのか、それはわかりませんが、とにかく、あれからその旅は、フランス『シラノ・ド・ベルジュラック』、ロシア『三人姉妹』、イギリス『フォルスタッフ/ウィンザーの陽気な女房たち』とつづき、今年はいよいよ、日本に帰ってきました。
ご存じない方もいらっしゃるかと思うので、改めてこの企画の説明を。「劇場を厨房に」ということでスタートしたこの企画は、古今東西の、いわゆる古典作品と呼ばれる戯曲を、九州在住、あるいは九州出身で、現在劇団で活躍されている俳優さんに、一ヶ月宮崎に滞在していただき、わたしの演出で上演するものです。オーディションは行わず、あくまでわたしが各劇団の公演に足を運んだ上で、キャスティングをさせていただいています。
さて、今年もその時期がやってきて、1月上旬から、九州各地の俳優のみなさんがウィークリーマンションに滞在しながら、稽古に励む毎日です。
今年の作品は、故井上ひさしさんの実質的なデビュー作品、1969年(昭和44年)に書かれ、初演された『日本人のへそ』です。
毎年、この企画の稽古中は、わたしたちが九州で演劇をつづけている理由を、日々考えさせられるのですが、今年の作品は、東北で生まれた主人公が東京でのしあがっていく様を劇中劇の形で描いた作品だけに、今まで以上に、「東京」や、わたしたちにとっての九州、そして演劇というものを考えさせられる毎日です。
そして、今まで以上に近い距離。すなわち40数年前の日本で、この作品が生まれたという事実。これまでの作品では、わたしは、その国に行ったこともなければ、もちろんその作品が書かれた時代も知りませんでした。けれど今回は、この国で、わたしが生まれた後に書かれた作品、一度だけですが井上さんともお話をさせていただいたこともあります。
日本人のへそ 「日本」。近すぎて遠い「ニッポン」。あれから何が変わり、そして何が変わっていないのか。そんな距離と格闘しながら、今日も稽古は続いていきます。
とはいえ、井上作品。そこには歌と踊りと笑いがちりばめられ、稽古場は熱気につつまれています。
九州に演劇があること、そのことが意味するもの、そんな一端がここにはあると思います。1月30日の都城市総合文化ホールでのプレビュー公演を経て、2月9日~11日に上演されるこの昨品に、みなさんどうぞ足をお運びください。今年は、5周年を記念した特別編集のパンフレット(無料)もありますよ。
遠いですが、宮崎でお待ちしていますね。

※詳しい公演情報はこちら http://www.miyazaki-ac.jp/?page_id=262
※稽古場ブログもあります。 http://jikunotabi.exblog.jp/

公益財団法人宮崎県立芸術劇場
演劇ディレクター 永山智行

2012.07.30

コラム|みやざきの演劇、「むかしといま」について、ちょっとかじってみました。

例年よりも遅い梅雨明けとなった2012年は節電と猛暑と豪雨という過酷な夏を連れてきました。
どうか皆さまお体ご自愛下さい。
猛暑のなか、みやざきより、暑中御見舞い申し上げます。

さてわたくし、この度この月1コラムのお話をいただいた際に考えました。
九州地域演劇協議会や九州演劇人サミットなど何度となく声をかけていただき、
宮崎代表と言っても過言ではない状況が幾度となくあったな、と。
貴重な機会を与えて下さっているのに、私はみやざきの演劇についてどれくらい知っていたかしら?と。
そこで、今回のこのコラムではみやざきの演劇の「むかしといま」~演劇協会の基礎知識~について、
お勉強したてほやほやの頭でお話したいと思います。

2012年7月現在の宮崎県演劇協会の加盟団体は16団体。
団体設立は47年という大師匠クラスから旗揚げして4年という若手まで、
所在地の北は日向市から南は日南市まで、演劇の傾向もバラエティにとんでいます。
公演場所も公共ホールだけに留まらず、ギャラリーやライブハウス、喫茶店など、
いろんな場所で気軽に演劇に親しめるような試みも増えています。

ただ、少子高齢化の波は当然この演劇協会にも押し寄せていて、
「新しい団体が入らない」「役者が役職に就いたため稽古に参加し辛い」「体力的にきつい」
といった理由により、定期的な公演を行える団体(=活発な団体)となると半減してしまいます。
そもそも演劇協会自体の設立は1988年(平成元年)に県内15劇団での発足で、
現協会の半数以上の団体が設立20周年を越えた団体ですので高齢化も当然なわけで、
かれこれ24年、ほんの少しの増減を繰り返しながらいまに至っているのです。
しかし、県立芸術劇場が「劇団をつくろう」という事業を4年前から行っていることや、
県内の若手役者だけのユニット公演など新たな動きも近年見られるようになり、
協会云々ではなく県内の演劇人口だけをとって見ると、
高齢化は打破出来るんではないかと思っています。

そんないまのみやざきよりもずっとむかしのこと。
いまの大師匠たちがいまの私たちよりも血気盛んでアツかったころ。
1958年(昭和33年)に「宮崎県演劇連盟」という、いまの演劇協会の前身を設立していました。
加盟団体は5団体。
高校演劇のOBたちが立ち上げた劇団、地元青年団から派生した劇団、大学生劇団。
所在地の北は延岡市から南は宮崎市まで。公演場所は主に公共ホール。
稽古場がなく経済的にも乏しい。
ちっともいまと変わらない「演劇を愛する人たちが集うところ」を作っていたのです。
また、その同年に県の助成支援を得て「宮崎県演劇祭」が(以降6年間)開催されたこと。
そしてもちろん、合同公演も行っていたこと。
さらには、戦後からいまに至るまで、みやざきには約70もの劇団が誕生していたことなどを教えてもらいました。
その後演劇連盟は残念ながら、劇団の統合や演劇祭の終了によりフェードアウトしてしまうのですが、
30年の時を経て演劇協会として再び発足するわけです。

半世紀前のみやざきの演劇人もいまの演劇人も時代こそ違うものの、
「この、宮崎という土地で演劇をする」ということに関して言えば、志は同じである。
ということを知り、とても心強く、また嬉しく感じました。
不況だ、少子高齢化だと言われる現在において、
もう24年も演劇協会の加盟団体がさほど変わらないことを考えれば、
演劇人の人口は減るどころか、むしろ増えていることになりますからね。
2011年みやざ演劇祭の写真
先人たちの基盤はたくさんの人たちの手から手へ脈々と受け継がれ、いまの私たちの手に渡り、そしてより多くの若手演劇人の手に託すこと。
「こい(これ)がみやざきの演劇人のむかしで、いまやっとよ。」
と、伝える責任があるのを知り、感謝しつつも、ちょっと背筋が伸びました。

文:神水流じん子(宮崎県演劇協会 副会長 )