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2023.03.24

コラム│鹿児島演劇の見本市の開催! ~演劇の再開と演劇人の再会を願って~(鹿児島)

 

はじめまして、鹿児島演劇協議会の代表理事を務めさせていただいています。宮田晃志と申します。鹿児島ではコロナ禍で思うようにイベントが行えない期間が続いていましたが、2023年こそ演劇活動の復活を目指し、動いているところです。

早速ですが、2023年1月29日に「第7回鹿児島演劇見本市 第1弾 〜旅するENGEKI2023〜 in 鹿児島」というイベントを開催しました。これは、参加団体が約30分のお芝居を持ち寄り上演するというものであり、一度にたくさんの劇団のお芝居を見ることができる、まさに見本市といった内容のイベントです。

 

第7回鹿児島演劇見本市 第1弾 〜旅するENGEKI2023〜 in 鹿児島

 

鹿児島演劇見本市は2008年〜2014年まで鹿児島演劇協議会が継続して行っていたのですが、一時期中断しており、コロナ禍が収まってきている今こそ、鹿児島の演劇人の力を一度集めようと、実に9年ぶりに再開いたしました。
第1弾では、鹿児島で活動を続けている協議会加盟団体6団体、劇団鳴かず飛ばず、鹿大演劇部テアトル火山団、劇団LOKE、演劇ユニット GREEN CARD a.k.a、即興グループ 七味唐辛子、演劇集団宇宙水槽がそれぞれ短編作品を上演しました。
劇団ごとに個性があり、コメディーや抽象的な作品、さらには即興劇と、様々なお芝居を見ることができる見応えのあるイベントになったと思います。来場者も約400人と、会場が満席になるほどにお越しいただくことができました。
演劇人の「お芝居をやりたい」という気持ち、そして、お客さんの「演劇を観たい」という気持ち、久しぶりの見本市ではその二つの気持ちの再確認と、演劇人が集まる中で生まれたパワーを感じることができました。
2023年は、このイベントを第2弾、第3弾と連続して行っていく予定になっています。鹿児島演劇協議会の活動にもご注目ください。

 

久しぶりに鹿児島の演劇人が集結! 演劇の力が集まりました

 

鹿児島の演劇は昨年くらいから、各劇団が少しずつ活動を再開しています。どうしてもコロナ前のような大規模なお芝居や、集客ができない状況ではありますが、確実にプラスな方向に進んでいるんだということを感じています。
新しい劇団を作りたいという若手の話も耳にしています。鹿児島演劇協議会は演劇人を繋ぐ力の手助けをし、演劇文化を地元鹿児島に広めていけたらと思います。

 

宮田晃志(鹿児島演劇協議会 代表理事)

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2021.05.25

コラム|演劇活動の再開を祈って(鹿児島)

 はじめまして。鹿児島市を中心に活動をしています。演劇集団宇宙水槽の宮田晃志と申します。鹿児島で社会人劇団を立ち上げたのが2012年! 10周年目はもう目の前です。また、昨年度から鹿児島演劇協議会の代表理事を務めていますが…。去年はコロナの演劇協議会の活動ができなかったので、今年こそはと、少しづつ計画を進めている段階です。
 また感染者数が増えてしまっていますが、ワクチン摂取も始まり、これからの演劇の活動が少しずつでも元に戻っていけるように、力を入れていきたいところです。
 今年一年を振り返ってみると、鹿児島での演劇公演回数は本当に少なくなっています。
 鹿児島演劇協議会に加盟している団体を見ると、いつもはどの団体も年1,2本公演を打っているのですが、全体で数えるほどしか公演を打てませんでした。
 コロナ対策のため、席数を減らす、フェイスガードやフェイスシールドを着用する、屋外で公演をするなど、対策は取っていますが、何が正解なのか探りながら動いているという感じです。
 劇団の宇宙水槽としては2020年の11月12月に即興公演と銘打って「死んだ勇者と愉快な友人」というお芝居を作りました。それはこのコロナ禍でもできるお芝居を作ろと思いついた企画でした。少しでも熱が出たら、1週間2週間様子を見て休まないといけないという今までにない状況下でしたので、突然役者が休んだり、本番来れなくなると言うリスクを軽減するために、役者を誰でも大丈夫なように即興公演と銘打ったわけです。また大きな会場はとれなかったので25人程度の小さな会場で、上演回数を増やしての公演というのも即興公演に合っていたかと思います。

「死んだ勇者と愉快な友人」マウスシールドやフェイスシールド、コロナ対策を行った即興公演。

 その時は鹿児島の演劇が全てできなくなっている状態でしたので、私たちの劇団が魁となるつもりで、コロナ対策のフォーマットや、手本となるようにこれでもかと対策をとって迎えた本場となりました。どうにかどうにかお芝居を打つことができましたが、いつもよりお客も少なく、対策のために時間と人手とお金を使い。精神的に大変な公演でした。
 2021年になり、少しずつ公演が戻ってきている感じはあります。
 2021年3月には鹿児島の即興グループ「七味唐辛子」が、鹿児島の劇団メンバーを集め、80分ほどの即興公演に挑戦したり、(私も参加しました。)
 久しぶりの舞台芝居、客席は半分しか埋まっていませんでしたが、私たち求めていた舞台がそこにありました。

「完全即興芝居CONTACT41〜りんく〜」照明音響全てが即興で一つの物語を作ります。久しぶりの舞台上。

 やっぱりお芝居に新しい様式はありません。
 生の役者に生のお客さん、観られているという感覚と観ているという関係。
 それが、あるから役者は舞台に立つし、お客さんは舞台に足を運ぶのです。
 さて、個人的な話になりますが、自分は「鹿児島市の春の新人賞」という賞をいただきました。

鹿児島春の新人賞

 これは鹿児島市を中心に活動している若手の芸術家に贈られる賞で、毎年、楽器、声楽、バレエ、日本舞踊などなど、多方の芸術分野から3人ほど選ばれるものです。
 鹿児島で演劇関係者がこの新人賞をとったの実に44年ぶりとのことで紹介されました。
 44年間……いかに鹿児島で演劇が注目されていないかがわかります。そう、鹿児島は他の九州の県に比べても演劇の知名度が低く、盛んではありません。この十年間鹿児島でお芝居をしているのですが、10年前と演劇の知名度、公演数などは変わっていません。むしろ団体数は少し減っているぐらいです。
 個人的にも鹿児島の演劇をもっと身近に、もっと手軽にと思って活動をしているところですが。そんな中この名誉ある賞をいただき少しでも、鹿児島の演劇を発信していければと思っています。
 鹿児島では2023年に全国高等学校総合文化祭も予定しており、各高校の先生方や生徒たちが準備を進めていると聞いています。
 去年はとんでもなく厳しい1年でしたが、次なる演劇活動の再開に向けて動いていきましょう。
 いずれ、私たちが求めてた、焦がれていた、あの舞台をまた公演できるように、今年も活動をしていきたいと思います。

宮田晃志(演劇集団宇宙水槽 代表)

2019.03.13

コラム|『ジョン・デンバーへの手紙』
屋久島高校演劇部全国大会までの道のり(鹿児島)

鹿児島県の屋久島高校で演劇部の顧問をしている。高校演劇劇作研究会に所属し,戯曲の作り方を学び,いくつかの作品を書いた。昨年の九州大会で,拙作『ジョン・デンバーへの手紙』が,最優秀賞と創作脚本賞を受賞し,7月27日から29日まで佐賀県鳥栖市で行われる全国大会に出場することとなった。今回,九州地域演劇協議会様からコラムのご依頼を受け,一顧問に過ぎない私などが、寄稿してもよいのかと恐縮している。


 
屋久島に赴任して,4年目を迎える。屋久島に魅せられ,移住を決める人々は多い。豊穣な水と緑に抱かれ,人々の有りようは鷹揚である。生徒もまた,それぞれが自己の世界を持ち,他人におもねらない。演劇部員も然りである。
赴任した当時、演劇部は1名。廃部の危機に瀕していた。部員集めに奔走し,声出しから始めた。稽古場となっている,高校を見下ろす丘の上の旧学生寮からは,毎日部員たちのアメンボ赤いなが響いた。演技など初めての生徒たちである。当然,他校の演技なども観たことがない生徒たちである。夏の講習会などにも積極的に参加し,技術を磨いた。彼らの姿が好もしかった。だって舞台に上げても,何だか度胸があるのである。落ち着き払っていて,魅力があるのである。小さな世界に育つ故の視野の狭さから来る,世間知らずの強さだろうか。不思議だったが,今は違うと感じている。大自然の中で,小手先ではない粉飾いらずの風格を,彼らは授けられているのに違いない。あたかも見本となる大人がいつも傍らにいるように,生徒たちの目の前に自然が対峙し,感性を,生き方を,振る舞いを,物腰を,力のいれ具合を,果ては朽ち果て方に至るまで,教示しているのであろうと感じる。

作品『ジョン・デンバーへの手紙』は,実話を基にしている。本年度,屋久島の過去の歴史を,また少し掘り下げたいと思っていた折,偶然にも,島全体が林業に沸き返る昭和53年に,『屋久島からの報告』という映画を作り,国の原生林伐採に反対された,当時屋久島高校の教諭であられた大山勇作さんのことを知った。
直接大山さんにお会いし,映画の中で使用する楽曲についての興味深いエピソードを伺った。「カントリー・ロード」の作曲家としても名高いアメリカのカントリー歌手ジョン・デンバー氏に直接手紙を書いて,無料での楽曲使用の許可を取りつけたというのである。そのころ無名であった鹿児島県の小さな島と,外国の大物歌手との取り合わせが何ともミスマッチであった。大山さんのお人柄に触れ,お話を伺いながら,不器用ではあるが故郷をこよなく愛す,一人の青年教師の姿が浮かんできた。島に留まり,懸命に故郷の自然を国の伐採事業から守ろうとする人々の物語が出来上がった。
タイトルは『ジョン・デンバーへの手紙』。・・・これしかなかった。

昨年12月,福岡県で,九州高等学校演劇研究大会は開催された。
本校の上演は1日目の最後であった。物語の後半,足の悪い老婆が,映画の前売り券の購入をなけなしの財布をはたいて承諾するシーンがある。あんな足では上映会も行けはしない,他人の力を借りないと丸腰のこぶしを振り上げることもできないと,主人公が忍び泣くシーンである。このエピソードは実話に基づいていたが,なかなか思いどおりに行かなかった。直前まで練習を重ねた。
私は,出そうになる涙をこらえ、嗚咽がもれないように奥歯をぐっと噛むしかなくなるような作品が好きだ。惨めなもの,滑稽なもの,醜悪なものの中に,ふと垣間見える美しさや希望。ゴミ袋に雪が降り積もっているような世界。大団円より,含みのある幕切れに惹かれる。
講師の先生のお一人に,日本を代表する劇作家で演出家の,平田オリザ先生がおられた。オリザ先生から,題材と伝え方のバランスがよい,社会的な問題で説教くさくなりがちだが,人間的要素がたくさん入っていた。生徒たちの演技がとても素直で好感が持てたとの講評をいただいた。雲の上のような存在から,自校の作品の講評をしていただけたことが,ただただ光栄であった。

結果発表で屋久島高校の名が呼ばれたとき,生徒たちは一瞬悲鳴を上げたが,すぐに姿勢を戻した。喜びを表すことを他校に遠慮したのだ。
私は涙がボタボタ流れた。私自身も気付かなかったが,名を呼ばれたとき,初めて分かった。私は,全国大会に行きたかったのだ。涙が止まらぬくらい,こんなにも,行きたかったのだ。全国までの道のりは遠すぎた。これまでやってきて良かった。諦めずにやってきて本当に良かった。島に帰ると,たくさんの方々が祝福してくれた。町長への表敬訪問まで待っていた。

今年の夏。全国大会の舞台に立てる。屋久島の生徒達が導いてくれた。夢が叶う。夢かと思う。

屋久島高校演劇部顧問
上田 美和

2017.03.16

コラム|まちづくり(鹿児島)

鹿児島市で演劇活動をしています劇団上町クローズラインの宇都です。
鹿児島を題材にした幕末時代劇や、つかこうへい氏の芝居をしています。最近は、他団体公演の運営サポートをしたり、行政の事業などの様々な催事に出てくる演劇シーンへの手助けを微力ながら行っています。

 

中学校公演

(平成28年度芸術家派遣プロジェクト 中学校演劇公演の1場面)

 

先日、これからのまちづくりの在り方として様々な提言をしている著名なエコノミストの講演会を聞く機会がありました。

この方の話では、まちなかの要素として①住む人と来る人の共生。②変転ある雑居を生む「器」力。③文化、気風、その土地のブランド。の3つをあげられました。人口動態は、ここ5年間で鹿児島市だけでなく首都圏でも減少傾向にある中、シニア世代(65歳以上)は増加しているとの事。日本中が人手不足に突入していく事を、とうの昔に行政には警鐘を鳴らしていたそうです。

そして本題では、これから街が、いかに生き残っていくのかとして、「そこに住んでる地元高齢者の見識が高い事」「社会が子供をどれくらい大事にできるか」「高齢化に対応できる女性の活力が必要」などを唱えられました。

この話を聞き、九州であろうが首都圏であろうが、どのような文化であれ、活力ある街として生き残るには、若い世代とシニアとの協創が必須項目ではないかととても感じました。

ふるさと博

(明治維新150年カウントダウン事業 薩摩維新ふるさと博 武家屋敷内寸劇の1場面)

 

鹿児島はまだまだ若手劇団が多く、なかなかシニアの活躍できる場がありません。老舗の劇団がないのです。シニアの深みをいかに今現在活動している若い世代に溶け込ませる事ができるか。また芝居をしたいけど台詞も段取りも覚えが悪く内気になるシニアに対し、きちんと最後まで面倒をみてあげる事ができるのか。

ますます高齢化していく社会の中で、シニアと現役が闘いあい協創していく演劇作品が地域活性化として必要とされるなら、こんな素敵なことはないですね。妄想で終わらないようにぜひ取り組んでみたいと思います。

宇都大作(鹿児島演劇協議会 代表理事)

2015.10.04

コラム│鹿児島いいとこ一度はおいで(鹿児島)

鹿児島を拠点に活動している、劇団鳴かず飛ばずの原田耕太郎です。
今、「変な劇団名」と思ったあなた!大丈夫、僕も思っています。

少しだけ、思い出話をします。僕が芝居を始めたのは15年前の15歳の時でした。そして高校卒業後、先輩の作った劇団に所属したのですが、当時の鹿児島は、劇団同士の横の繋がりが少なく、また、30代以上の劇団もほとんどない状態でした。するとどうなるかというと、「自分たちの芝居が一番面白い!」となります。比較対象がいないわけですから当然の結果です。さながら、先生のいない自習時間です。今にして思うと何だか残念な感じですが、逆に、先頭切ってノビノビと芝居ができる環境でした。

その当時、芝居の先輩がよく口にしていた言葉が「鹿児島で600名呼べるようになったら本物だ!」というものでした。
たしかに、当時の平均集客数は150~250名程度が多かったように記憶しています。

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鹿児島の演劇の問題としてよく語られるのが、「観客の不在」です。観客のほとんどが、
団員の知り合いであり、手売りでチケットをさばいている状態でした。観客が不在ということはすなわち、演劇文化が全く根付いていないという状態です。

そんな井の中の蛙な僕たちでしたが、ここ10年の間に、鹿児島の演劇界もどんどん変化しています。
県外で活動していた芝居人が鹿児島に帰って劇団を立ち上げ、30代以上の芝居人が徐々に増えていったり、県外公演を行う劇団が出てきたり、演劇協議会が発足されたり。
劇団鳴かず飛ばずも、必死にあがき、5年前の公演で動員700名越えを達成できました。当時思っていた「本物」にはまだまだ程遠いですが。

演劇未開拓地の鹿児島で芝居を続けて思うことは、観客に育てられ、そして、一緒に育っているという感覚です。少しずつ「演劇が好き」「この劇団が好き」という方が増えていき、
ずっと芝居を見続けてくれている方などは、どこかの評論家よりも的確なダメ出しや感想をくれたりします。そうした観客の「芽」を育てて行けるかどうかも僕たちが芝居を鹿児島で続けていく大きな意義なのだと感じます。

そんな成長期にある鹿児島ですが、10月31日より「第30回国民文化祭かごしま2015」が開催されます。国体の文化団体版、らしいです。

その中で現代演劇の祭典も開催され、県外からの公募公演や招聘公演、鹿児島演劇協議会プロデュース公演や、市民参加型の公演などさまざまな公演が行われます。
国民文化祭には、初めて芝居するという方も大勢参加しています。今までどこに隠れていたんだ!と驚きを隠せないですが、やはり、鹿児島はまだまだ、種まきが足りないなと実感した次第です。自分が芝居を始めた頃、何もかもが新鮮で鮮烈でどんどん芝居にはまっていった様に、国民文化祭をきっかけに、芝居にはまって抜け出せなくなる人が増えることを願ってやみません。そうなるために必要なのは、そう、観客の目ですね。皆様、10月31日、11月1日は鹿児島へお越し下さい!

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地方における演劇事情というのは、今更僕が語るまでもない話で、鹿児島が抱えている問題等もおそらくどの地域でも当てはまっているものだと思います。

もっと突っ込むと、結局のところ、地方演劇が抱える問題の解決策はただ一つ。
面白い芝居を作り続けること。これ以外に道はないと思っています。

「鹿児島の演劇は30年遅れている」と言われたことがあります。
そうか、30年か。30年前といえば1985年。僕の演劇人生のバイブルである、第三舞台の「朝日のような夕日をつれて‘85」が上演され、夢の遊民社がブイブイ言わせ、キャラメルボックスが旗揚げした年です。

なんだ、鹿児島の演劇は今が全盛期ということか!

劇団鳴かず飛ばず・原田耕太郎

2014.09.30

コラム|「外」の視線に学ぶ(鹿児島)

芸術の秋、各地で様々な催しが行われている。演劇も・・・と言いたいところだが、鹿児島では秋の公演は少ない。演劇に適した公立ホールはほとんどなく、しかも大変な倍率の抽選に当たるかどうかは運次第では、なかなかスケジュールを組むこと自体が難しい。勢い倍率の低い夏や春先で公演計画を立てる。あるいは鼻からそのような会場は捨てて、自ら新しい空間を探して街を彷徨うことになる。
次は役者とスタッフ。それぞれの劇団に所属する役者やスタッフの数は限られている。となると、鹿児島の小さな演劇の世界では、客演やスタッフ協力は当然。行ってみると結局同じ役者、同じスタッフの名前が続くことになる。観客も同じだ。それぞれに固定客を持ってはいるが、それ自体ささやかなもので、しかもかなり重なっている。結局小さい空間でこじんまりといわゆる「内輪」で互いに見合うことになる。

そんな中で演劇は育つだろうか。

もちろん、作家は懸命に書き、演出家は懸命に立ち上げ、役者は懸命に舞台に立つ。それは純粋に素晴らしい。しかし、それ自体が目的になっていないか。その先に足を踏み出すきっかけを見つけ出せていないのではないか。必要なのは「外」の視線だ。「外」の視線に曝されたとき、初めて舞台は身構える。改めて自分の立ち姿を考える。自分を知らない人間の存在に怯え、だから必死に伝えようとする。この姿勢がなければ、どんなにすばらしい芽も、成長する前に枯れてしまうだろう。

鹿児島の演劇人はその危機感から「鹿児島演劇協議会」を立ち上げた。「井の中の蛙」が「大海を知」るために手を結んだ。それから早や7年。他所を真似、演劇見本市やリーディング公演で、劇団同士の交流と人材育成、そして観客層の開拓に力を入れてきたつもりだ。県外の公演に参加する劇団も出てきてはいる。しかしまだまだ状況は厳しい。現状に甘んじ、自己満足の芝居作りになっていないか、私たちは自分自身を見つめ直さなくてはならない。
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そんな中、2015年秋に鹿児島県で第30回国民文化祭が開催される。鹿児島演劇協議会も「現代劇の祭典」を担うこととなった。企画は①全国のアマチュア劇団の交流 ②鹿児島演劇協議会による新作公演と県民参加企画 ③全国の先進的な優れた舞台の披露の3つ。

アマチュア劇団の交流はすでに全国に参加募集を発信した。全国からどのような劇団が参加してくれるのか楽しみにしている。先進的な舞台公演には青森の渡辺源四郎商店にお願いした。県民参加企画には県外の演出家の力を借りる。いずれも外から鹿児島を見てもらうとともに、私たちも「大海」を知るきっかけになることを期待している。そして協議会として初めての新作公演は鹿児島出身の芹川藍さんに作・演出をお願いした。80年代日本演劇を引っ張った劇団「青い鳥」の中心メンバーであり、今も精力的に演劇活動を続けている芹川さんは、鹿児島の演劇人にとって親の世代。私たちはこの世代の違いという「外」の視線から学んでいきたいと思っている。
そして何より、この国民文化祭が「イベント」として終わるのではなく、鹿児島の演劇の新たな転換点となることを望んでいる。ぜひ、九州の仲間たちにも、その現場に立ち会ってほしいと思う。

最後に、九州の仲間たちへの提案。各県で頑張っている劇団の九州巡回公演ができないだろうか。1年に1団体、各県持ち回りで推薦した劇団が九州各地で公演を打つのだ。旅費宿泊費は各県で折半。そうすれば劇団にとっては同じ作品を九州全体のお客様に見てもらうことができ、観客にとっては地元にいながら九州各県のすぐれた作品を観る機会が生まれる。更に各県の演劇人との交流も深まるだろう。これも「外」の視線に耐えられる作品を産み出すことになるのではないだろうか。

鹿児島演劇協議会理事 丸田真悟

2013.11.28

コラム|新たな一歩を踏み出すとき。―かごしま演劇の歩みと共に―(鹿児島)

役員改選で鹿児島演劇協議会の事務局長となった日から、あっという間に1年半。
ご紹介と共に、今とこれからの鹿児島をしっかりと見つめてみたいと思います。

現在(2013年11月末)鹿児島演劇協議会には「9団体、10個人」が加盟をしています。
中学・高校・大学演劇や、市内外の劇団(南は知覧、北は伊佐)、演劇関連のスクール、個人会員のユニット活動など、その内容は非常にバラエティーに富んだものとなってきました。

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そんな私達の活動の柱となっているのは、年に2つの大きな公演。夏の鹿児島演劇見本市(写真左)と、冬のリーディング公演です。
見本市は今年で5回目を迎え、6団体が30分と限られた時間で上演を行いました。
「鹿児島に根をはり活動を続ける者たちの広く市民にアピール出来る場」として、また「市民が身近に舞台芸術を味わう事の出来る場」として、この企画が少しずつ浸透してきているという事が、来場者数の伸びやアンケートの内容、円滑に行われた企画運営から見てとれるようになってきました。IMG_0098
続いて、冬のリーディング公演(写真右)についてです。こちらは2014年1月25日(土)の開催が3回目となるヒヨッ子企画。毎年、「作・演出」「出演者」「運営」全てが違う形態で、試行錯誤しながら進んでおります。ただ、リーディングという言葉にすら馴染みがなかった鹿児島の演劇人にとっては、新たな挑戦の場として求められるようになってきました。

あ、そうそうもう一つ大事なお知らせが…。しかし、継続しようとすると「マンネリ化」が巨大な壁となって立ちはだかります。
それは今まさに直面しようとしている問題。だからこそ、ここらでしっかり他県に目を向け、足を伸ばし、様々な企画や公演から刺激や情報を得る事が必要となってきました。
そして、それをどう活かすか。新たな面白みを生むタネを作る事が出来るのか。
きっと、ここからが本当の勝負な気がします。
今まで以上に山あり谷ありなのかもしれません。そんな中で、鹿児島の演劇がどうなっていくのかを、どうかぜひその目でお確かめ下さい。
協議会の企画でも、劇団の公演でも何だって構いません。観に足を伸ばしてみて下さい。
新幹線が通った今、南国鹿児島はぐぐっと近くなっていますよ。

あと2年。なんと2015年に「第30回国民文化祭」が、ここ鹿児島で開催されます。
私達、演劇協議会は市の事業の一環で「現代劇の祭典」を行う予定です。
今後、様々な場所でPRする場も増えるかと思いますが、是非、観る側、演る側、どちらでもOKですので興味を持っていただけたら幸いです。
充実した企画になるように、皆で協力し努めてまいりますので、宜しくお願い致します。

鹿児島演劇協議会事務局長 福薗宏美

2012.09.27

コラム|鹿児島に根を下ろすために

 鹿児島演劇協議会は2007年に設立されました。それまで明確な形では存在しなかった、劇団や舞台関係者同士の横のつながりを確保し連携することで、鹿児島の舞台芸術全体をとりまく環境の改善や表現の質の向上を目指しました。その上で、より多くのみなさんに舞台芸術に触れていただき親しみを持ってもらえるような活動を行っていきたい、そのために自分たちで行動を起こそう、そんな趣旨のもと、わたしたちは集まりました。

 鹿児島演劇協議会の特徴のひとつとして、劇団以外の舞台芸術団体や個人も加盟できることが挙げられるでしょう。2012年9月現在、7団体、10個人によって構成されています。設立から5年目となる今年は体制を一新しました。加盟7団体すべてが理事となり、より連携を強めて、舞台芸術活動の存在感を示していこう、という流れへと向かっています。
また、大きな特徴として特筆すべきものが、自主事業の継続です。

 鹿児島県の劇団数はそう多くはありません。最近旗揚げした劇団を入れても、15に満たないほどです。長期に渡って活動を継続し、定期的に公演を行っている劇団の数となるとさらにその半分ほどになります。演劇という表現形態・活動そのものがみなさんに広く認知されているとは言い難い状況です。そこで、協議会では2009年度から舞台芸術全般を対象とした「鹿児島演劇見本市」を毎年開催しています。この見本市は夏の企画として定着しつつあり、参加希望団体・入場者数ともに年々増加傾向にあります。さらに昨年から、もうひとつの自主事業として「冬のリーディング公演」を立ち上げました。

 見本市は協議会加盟団体に限らず応募・参加することができ、それぞれの作品を次々に上演していくスタイルで行なっています。お客様へ鹿児島の舞台芸術団体・個人を紹介し、表現の多様性を提示する、また、参加団体同士の交流の場として機能するという意味合いを持っています。一方、リーディング公演は、協議会に加盟している個人・加盟団体に所属している人材の中から、劇作家・演出家・役者を個人単位で起用し、共同で作り上げた演劇作品(リーディングでの公演)をお客様に観ていただく、というものです。

鹿児島演劇見本市 これらの企画は来年以降も継続していきますが、開催趣旨を今一度振り返り、内容の見直しや運営面での改善など、今までの枠にとらわれず柔軟に対応していく必要があると感じています。自主事業で市民のみなさんから関心の目を向けていただくことができても、本質的な中身=鹿児島県の演劇の質が高まらないことには、ただの一過性のイベントで終わってしまいます。パッケージを盛大に飾りつけてはみたものの、根本的な部分、中身がスカスカでは目も当てられません。個々の劇団や個人の向上と、活動の継続があってこそ、企画もより一層意味のあるものになりますし、一過性ではないその先の未来を考えることが可能になるはずです。
 
 最近は、県外での公演を行う劇団も出てきました。鎖国から開国へ。個人的にですが、鹿児島の演劇シーンにこれまでにない広がりが生まれつつあるように感じています。

 自分たちの演劇、鹿児島県産の演劇に誇りを持ち、内に籠ることなく目を見開いて、貪欲に質の向上を目指し、活動を継続していく。その上で、協議会として鹿児島の演劇の未来を考え、演劇が真に根を下ろすために行動していきたいと思います。

鹿児島演劇協議会 代表理事 演劇集団非常口(島田佳代)