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2013.07.01

コラム|あの頃から未来の話(長崎)

昭和が終わる2年前に演劇と出会いました。高校1年の秋の出来事です。ケガしてテニス部にも行かずブラブラしていた僕に、演劇部の副顧問の先生が高校演劇祭のチケットをくれたのがきっかけでした。土日2日間、長崎市公会堂で10数本。演劇に対して全く免疫も無く、ただただ目の前で起こる出来事にのめり込んでいったのです。

その頃、長崎で公演していたプロの劇団といえば劇団四季や東京キッドブラザース。花の都では小劇場ブームが巻き起こり、雑誌や戯曲で見る夢の遊眠社や第三舞台に胸を躍らせていました。長崎市内だけでも相当な劇団数があったと記憶しています。

あれから25年の歳月が流れ、随分長崎の町も変化しました。たくさんの複合施設が建設され、娯楽も大味なものから個々人が楽しめるようなものに変わって行きました。坂の町という住民にとってはひどく大変な地形も、『世界3大夜景』の一つに選ばれた途端、ちょっと誇らしく思えたり・・・。

劇団数もひと頃に比べてかなり減りました。理由はさまざまですが、その一つに稽古場として安価で利用できていた施設の撤退が挙げられます。演劇に限らずいろんなサークル活動の拠点となっていた場所だっただけに、自前の稽古場を持っていない団体は活動を制限せざるを得なくなり、ある期間だけプロジェクトチームを作って上演するユニットや行政主催の舞台への出演に表現の場が変わってきたように感じます。

ただ、広く市民の方々に『演劇』を知って頂く為には、団体による継続的な活動が重要な意味を持つものとも思います。一度減ったものを増やすというのはたやすい事ではありません。そこには必ず人間の輪が必要ですし、立ち上がった団体をサポートしていく体制づくりも必要です。昨年、発足致しました長崎県演劇人協議会(NECO)は、これから活動を考えている団体や個人に対し、応援できるものはしていきたいと考えています。活動実績としましては、ワークショップの開催以外まだまだ大きな動きはありませんが、今年「演劇人サミット」のホスト県という事もあり7月の総会を機に、活発化するものと思います。

子供たちが演劇に興味を持ち、いつか舞台に立つのを夢見る事ができるような環境づくりは、今まさに活動している僕らの責任でもあるのでしょう。地味な作業ですが、少しずつ浸透させていく事から始めよう。そう決意した梅雨の長崎より、白濱でした。

文:白濱隆次(長崎県演劇人協議会 副会長)

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