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2013.04.24

コラム|熊本、劇団をはじめることと、その在り方

ゼロソー代表河野氏は大学の先輩である。その河野氏と、十数年前に劇団を作った事がある。名を「姉グロ」といった。ゼロソーやら、第七インターチェンジやらが旗揚げする数年前の話だ。別に解散したという事もないが、取り立てて活動したわけでもなく(劇団の会報の様な物を何号か配布しただけ)うやむやになったままだ。方針で揉めたという記憶もない。そもそも方針を話し合った記憶がない。会議自体は何度かやったと思うが、何ひとつ進展しなかった。

当時の我々にとって、劇団を作るということは、大変な勇気を必要とする物だった。「戯曲を書く」とか「演出する」とか「舞台に立つ」ということ自体が、ものすごいハードルの高い事だったとおもう。ワークショップ的な物が熊本で開催されるようになったのは2000年代に入ってからだし、戯曲講座とか、演劇大学のようなイベントもなかった。

IMG_0098転機になったのは、2005年の「日本劇作家大会in熊本」である。熊本の場合だと、劇作家大会以前と以後では、別の地域だと言えるくらい、それをきっかけに状況が一変した。

現在は、毎年なんらかの劇団なりユニットなりが出来ているようだ。当時と比べると、「演劇をしてみる」ことへのハードルは、相当低くなった。2012年10月には、「DENGEKI」という、若手劇団六団体によるコンテストが自主開催された。六団体だ。かつてのペースであれば、20年ぐらいかかっていたはずのものが、1、2年でできてしまうのだから大変だ。

しかしこれが活況だと一口に言えないのが、難しいところだ。熊本で演劇をやっている人の数自体は、全体では横ばいである。昔からある劇団も含めて、かつては一団体15人くらいが平均的な数だったが、今では二桁の人数を抱える劇団はほとんどなくなってしまっており、特に最近出来る劇団は、二人とか三人しかいない場合も多い。

もっともその結果、「劇団の垣根を越えた交流」というものは非常に活発になっている。これまでは、公的な機関のお膳立てのもと一堂に会して、といった形が多かったが、最近は、自分たち独自のネットワークを元に、一から立ち上げるような企画も増えている。かつての劇作家大会のような、大規模なイベントによって一気に何かが変わるようなことは、今後は起こらないかもしれない。しかし、少しずつだが、着実に変化は起きていると思う。

第七インターチェンジ 亀井純太郎

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