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2016.10.03

コラム|きちょくれ、おおいた!(大分)

私は大分豊府高校演劇部で顧問をしております中原久典と申します。ここ数年は、大分県高文連演劇専門部委員長として、大分県の高校演劇の事務局もさせていただいております。

昨年は、滋賀県で開催された第61回全国高等学校演劇大会では、幸運にも最優秀賞をいただくことができました。これも、これまで応援していただいた方々のお力添えによるものだと感謝し、あらためて襟を正しく、気を引き締め、今年もまた、部員達と劇作の日々を過ごしています。

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(大分豊府高校演劇部『うさみくんのお姉ちゃん』舞台写真)

大分県の高校演劇は、加盟校数12校というジリ貧状態です。(これでも、ここ数年、増加傾向にあるんですよ。)私が高校生の頃は、加盟校が25校前後あり、県大会は3日間ですべての学校が上演するというハードスケジュールでした。審査員の先生方は、1日10数本見るという、苦行に近いものがあったかと思います。それが今では、1日に5~6本の上演で、2日間で終わってしまう!なんとも寂しい状況です。で、肝心の上演はというと・・・、近年の上演校のレベルがアップしてきており、それぞれの学校の特色を活かしたバラエティに富んだ大会になってきています。(自画自賛ですが。)大分豊府高校の全国最優秀は、そんな切磋琢磨しあえる環境によるものだと、実感しています。これは、大分だけに限りません。九州の高校演劇全体がこうした環境にあるのは間違いなく、近年の全国大会で上演する九州代表校の作品は、質の高いものばかりです。

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(大分豊府高校演劇部『うさみくんのお姉ちゃん』舞台写真)

そんな大分の高校演劇のレベルアップですが、各方面より多くのバックアップをいただいていることもその理由にあげられます。昨年の県大会は国東市の共催をいただき、『アストくにさき』で開催させていただきました。スタッフの方々のご協力、そして地域への情宣活動により、地元の方々にも多数、ご来場いただき、盛況な2日間を過ごしました。そして、今年の県大会は、大分市にあるホルトホール大分を舞台に、ホルトホール大分の主催事業として、『高校演劇グランプリ』という冠をいただき、華々しく開催されることになりました。ホルトホール大分は、ご存じのとおり、2016年11月に開催される『九州演劇人サミット』の会場でもあります。開館の2013年以来、『市民の家』として親しまれ、毎日、多くの方々が訪れています。主催事業として『市民ミュージカル』を立ち上げるなど、高校演劇に限らず、今の大分の演劇界の変化はホルトホール大分の存在に寄るところがとても大きいように思えます。そして、昨年度からは、地元の劇団が集まり、新作を上演するFUNAI演劇祭が開催されるようになりました。まさに、文化・伝統の創造・発信の場となっています。そのFUNAI演劇祭では、今年11月に行われる高校演劇の大分県大会の最優秀校が上演させていただけるようになっています。今、大分に芽吹き来つつある高校演劇の芽を、大切に、大切に、育てていきたいと思います。

11月5・6日、第69回大分県高文連中央演劇祭(第1回高校演劇グランプリ)、11月22・23日九州演劇人サミットin大分、どうぞ大分にお越し下さい!きちょくれ、おおいた!

(23日のパネルトークには私も出ます。と、なにげに宣伝。)

 

大分県立大分豊府高等学校演劇部顧問

中原 久典

2016.06.30

コラム|がんばるけん!熊本演劇(熊本)

熊本を拠点とする劇団ゼロソーの俳優、またSulcambas! 代表として舞台制作に携わっています松岡優子です。

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平成28年熊本地震発生から2ヶ月半。この地震は熊本に様々な変化をもたらすとともに、熊本の演劇の活力を再認識させられたこととなった。

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(写真 花習舎近く健軍商店街の中の倒壊したスーパー)

女優、演出家、劇作家の渡辺えりさんが来られたのは、6月26日のこと。アトリエ花習舎には急な呼びかけにも関わらず20名を超える演劇人。えりさんは3時間を超える長い時間、深い懐でひたすら私たちの生活環境や演劇活動ができているのかどうかといった話に耳を傾けてくださった。それぞれに連絡を取り合い近況を聞いていた人もいたものの、そこでの話からみんなの体験(苦労)は一様ではないと痛感させられた。

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(写真 本震後のアトリエ花習舎)

益城町に住む劇団「石」の女優さんは、罹災証明の判定に不服を感じつつも2次審査を申請することができなかったやるせなさに声を震わせていた。
劇団「石」は代表の堀田清さんをはじめ益城在住の方が多く、今まで使っていた稽古場は避難所となっているため利用不可能、堀田さんは罹災証明発行のための現地案内で東奔西走、劇団員の西山広成さんはこの4月からミナテラス(益城町交流情報センター)の所長となっており本震後4、5日は我が家に帰ることも眠ることもできない程に避難所運営に追われた。
劇団夢桟敷さんは地震被害により事務所兼代表 山南純平さんのご自宅の引っ越しを余儀なくされた。

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(写真:渡辺えりさんを囲んで)

えりさんを囲んだ会に本番のため出席できなかった劇団「第七インターチェンジ」の代表 亀井純太郎くんの自宅兼劇団稽古場は傾いてしまって、亀井くんは他の場所に身を寄せていると聞く。
またゼロソー代表の河野ミチユキは、勤める熊本市男女共同参画センターはあもにいも例に漏れず避難所となっているため避難者対応やはあもにいに届く物資を近隣避難所へ運んでいた。
劇団きららは地震の時、東京公演真っ最中。命が脅かされた瞬間に劇団きららが熊本にいなかったことは、全ての人の無事を確認することができない状況下において私にとっては「この人たちは無事だ」と絶対的な事実としての精神的な拠り所、救いだった気がする。しかし、遠く東京から熊本を思うことしか出来なかった皆さんの心情はいかばかりだったろうか。

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(写真 益城町文化会館周辺)

LINE、メール、電話、Twitter、Facebook、あらゆる方法でみんなの無事を確認しあっていた中、突然、熊本の演劇人が集まることになる。劇団「市民舞台」代表をされていた五島和幸さんの急逝によって。

通夜、葬儀には熊本の演劇関係者が多数参列し、他にもバレエ、能楽、オペラ、熊本のありとあらゆる芸術家、技術スタッフが五島さんの早すぎる死を惜しんだ。「これからだったのに…」と異口同音に皆が口を揃えていた。五島さんに熊本の演劇界はどれだけ支えられてきたことか…。

お通夜は前震の10日後、余震の続く緊張状態だっただけに久しぶりに仲間との再会に変な話だけれどもホッとする感情も生まれた。仲間達の無事な姿に緊張が緩んでいくのを感じながら、「五島さんが私たちを集めてくれたんだね」と声をかけあった。「だからって先立つには早すぎるでしょう!」と五島さんの不在が悔やまれてならなかった。地震がなければ…そう思わずにはいられなかった。

熊本に未曾有の被害をもたらした地震との闘いはなおも続いている。被害の大きかった益城町、南阿蘇を中心にまだ復興への道のりは遠く険しい。私自身、住む家をなくした。けれども、熊本の演劇人はとどまることを知らない。

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(写真:余震の影響で天井が落ちた健軍文化ホール)

劇団「石」を中心とした毎年恒例の夏目漱石を題材とした演劇の熊本・東京公演は、一時は中止と聞いていたけれど、熊本市民会館から熊本県立劇場へ会場を移しての公演決定。劇団夢桟敷を中心とした演劇ユニット九州「劇」派は熊本・東京公演、そして夢桟敷はその先にはブラジル公演も見据え、その歩みを止めることはない。益城町にお住まいの小松野希海さんはご自身も大変な状況であるにも関わらず、Studio in.K.でいち早くゴールデンウィークから公演を実施。くまもと若手演劇バトル「DENGEKI」も例年どおり10月に開催決定。

目の前の生活で手一杯になってもおかしくない状況下で、立ち向かう、切り開く姿に熊本の底力を感じずにはいられない。

多くの方の支えを受け、私は熊本の演劇人有志とともにアートによる街や人の再生・復興に寄与することを目的とした団体、SASHIYORI Art Revival Connection KUMAMOTO(SARCK/通称 さるくっく)を地震の一ヶ月後に設立した。またアトリエ花習舎では、急遽、月光亭落語会の投げ銭寄席、若林美保さん・大槻オサムさん・谷本仰さんの作品「two」を上演していただけることに。「とにかく熊本へ」その気持ちがとても嬉しく本番の日が待ち遠しい。

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(写真:広安西小学校で子どもたちと遊ぶSARCK)

Sulcambas!主催で昨年秋に開催した「カシューナッツ 12帖演劇祭」は助成いただいた熊本県の助成金の募集目処が立っていないため今秋開催に向けクラウドファンディングに挑戦中だ。こんな今だからこそ、やりたい。熊本でひとつでも多くの笑顔が生みだしていきたいと願っている。クラウドファンディングには花習舎3日間提供というリターンもあり、作品を持ってくることでもぜひ熊本を盛り上げてほしい。

地震後、九州、全国から励ましの言葉やご支援をいただき、どんなに言葉を尽くしても感謝の気持ちを表現できない。心寄せてくださる皆さんの思いは確実に熊本の演劇人の原動力となっている。だから、声高に叫ぶ。「がんばるけん!熊本演劇」

ゼロソー 俳優/Sulcambas! 代表/SARCK 代表

松岡優子

2016.03.27

コラム|長崎で演劇が行われている場所あれこれ(長崎)

長崎ドラマリーディングの会(NDR)たじまです。長崎生まれ演劇育ち、テーブルゲーム好きな人は大体友達です。最近のお気に入りはアルルの丘です。
私の生活圏内(浜の町からクルマで片道30?40分程度)で小劇場サイズの演劇公演が行われている場所について、私の知る範囲でお伝えします。公共ホールは除きます。

まずは長崎市内の宝町ポケットシアター。管理運営しているF’s Companyの作品はもちろん、県内外のさまざまな団体の公演が行われています。
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(宝町ポケットシアター)

そこから徒歩圏内にあるギャラリーヘキサでも年に数回演劇公演が行われています。私はここでrawworksと塚プロの作品を堪能いたしました。
NDRは中央橋すぐ近くのbody2soulを使わせていただいております。ここは演劇のための場所ではなくライブハウスで、通常はジャズやロック系が中心です。そこから徒歩で行ける距離にあるワインバー田舎では、謎のモダン館プロデュースによる一人芝居オムニバス公演も行われました。

諫早では、独楽劇場。田上インターからほど近い私の家から、高速道路使えば30分くらいです。管理運営をしているエヌケースリードリームプロの作品はもちろん、劇団ヒロシ軍の公演も精力的に行われています。また、県内外の団体の公演も行われております。

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(諫早 独楽劇場)

他にも知られざる「小劇場サイズの演劇が行われている場所」はあるのかもしれませんが、私の知るところでは概ね以上となります。参考になれば幸いです。
佐世保や島原などにも、きっと素敵な可能性を秘めた場所があるんだろうなと勝手にワクワクしております。ご存知の方はご一報を!

(長崎ドラマリーディングの会・たじま裕一)

2016.01.30

コラム|火を絶やさぬように。(佐賀)

皆様、初めまして。佐賀の劇団、劇団熱輝球の高尾大樹と申します。どうも、以後お見知りおきを。

 

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一昨年の十二月末のステージマロの閉館後、若手の僕らには絶望が漂いました。僕らの演劇は受け皿を失ったのです。安価に借りれる演劇に向いた箱、佐賀にはそんな場所が少ないのです。ステージマロは数少ない貴重な場所でした。そこが、閉館してしまったのです。結果、場所がないばっかりに、表現したいという熱だけが放射冷却されていく。佐賀県は正直に言って、環境的に演劇に向いた土地ではなく、佐賀県民において演劇とは、身近な娯楽ではありません。乗客も止まる駅も無く、電車は孤独に走っていく。それは誰に望まれたわけでもない電車のエゴだったのです。
そんな現状は、パキリと音を立てて打破されました。

 

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昨年十月、「戦国武闘伝OZ」は、佐賀の若手役者を中心に公演されました。佐賀では珍しい大きな規模であるその公演は、確かに観客を熱狂させました。いや、観客だけでなく僕ら若手の演劇人を熱狂させました。若手の演劇人と言っても、佐賀の演劇界には若手がおりませんでした。四十以上の年齢がメインであり、二十代三十代の演劇人は少なかったのです。ここ二三年で、二十前半の演劇人が(そう言う僕も二年前に佐賀演劇に飛び込んだ二十二歳です)増えました。それでも、二ケタに満たぬぐらいでしょうか。それも学生という期限付きの演劇人。何人が佐賀に留まるかは分かりません。それも今は当然です。「演劇を本気で続けるならば東京に行かなきゃ」。それが常識なのですから。
ですが佐賀の演劇界は今、熱を帯びています。

 

もっと佐賀に観劇文化を根付かせよう。若手だけじゃなく、佐賀の演劇人は、皆そう考えています。
その熱を、火を絶やさぬように。この火が絶えなければ佐賀において「学校卒業後も演劇を続ける」ことは、そう珍しいことではなくなるでしょう。趣味ではなく、職業選択としての演劇。
ステージマロの閉館時の絶望は、今は遠く、ここには希望が満ちています。佐賀の演劇、ぜひ皆様もカンゲキ、しにきてください。

(劇団熱輝球・高尾大樹|佐賀)

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写真は上から

有明海の夕日の写真|佐賀市上空からの写真|佐賀での稽古の様子

2015.11.30

コラム|演劇をしたい人が、演劇をできる環境をととのえるために(熊本)

熊本学生演劇連盟の馬渡と申します。熊本大学の4年生です。普段は劇団「市民舞台」で活動しております。

私は、熊本の学生の演劇へのかかわりについて、また一学生からみた熊本の演劇に関してお話いたします。

熊本に限らず学生が演劇をする場合、大きな選択肢は二つだと思います。一つは、大学演劇部に所属し活動する、もう一つは自力で劇団を探し、自分で入り活動する。普通は大学演劇部に入ろうとする学生が多いのでしょうが、熊本では全く演劇経験がないのに劇団に入る学生が結構います。その大きな理由は、熊本の大学演劇部は、現在熊本大学と東海大学阿蘇キャンパスの二つしかないからです。東海大学阿蘇キャンパスは地理的に離れており(東海大学熊本キャンパスとも行き来がないほどに)、熊本県内ほとんどの大学がある熊本市内となると、熊本大学にしか演劇部がありません。熊本市内から学生が集まるので、熊本大学演劇部には他大学の学生も所属しています。熊本大学演劇部は熊本演劇人協議会に加盟しており、部活と言うより演劇団体として認知されている側面が強いように思います。

この2つの演劇部を見れば熊本のいわゆる学生演劇というものは網羅できます。合わせて20人程度、劇団に所属している学生も含めれば30人強だと思います。しかし、学生は熊本にたくさんいて、その中で演劇活動をしている学生がこれだけしかいないのは少ないとぼんやり思っていました。そうしたら、演劇部の大先輩から、学生が所属するための演劇の団体を立ち上げたらいいんだよ!と言われました。部活のたびに熊本大学まで通うのは面倒だし、劇団にいくのはちょっと怖い、そう思っているうちに演劇しなくてもいいや、と思う学生がたくさんいるはずだ。

なるほどと思い、熊本大学の演劇部の学生たちと一緒に、「熊本学生演劇連盟」という学生のための演劇団体を立ち上げました。団体の目的は、「演劇をやりたい学生それぞれの周りに、演劇に参加できる環境をととのえること」。具体的には、各大学に活動している演劇部がある状態を目指しています。また、大学の垣根をこえた交流の場を作って演劇仲間を増やし、同時に劇団への架け橋にもなれればと思っています。とにかく、それぞれがやりたいように活動するための団体です。高校演劇経験者のツテなどをたどりながら、演劇に関わっている人、演劇に興味がありそうな人に声をかけていきました。

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(合宿での一コマ)

熊本学生演劇連盟は、劇団ではありません。団体主催での公演は少なく、行うとしても有志を募っています。一度、4大学を回って新歓公演を行いました。有志で公演を行うメンバーを募り、各大学の学生に声をかけ、制作のお手伝いを頼みました。これは半分成功、半分失敗というところで、課外活動に熱心でない大学ではチラシ配りなどが難しく、アプローチの難しさを感じました。また、福岡学生演劇祭への出場の際、学生ユニットとして熊本学生演劇連盟の名前で出場しました。最近の連盟のおもな活動は、有志によるワークショップの企画と、情報交換です。最近では殺陣講座が週に一度行われており、プロの方を講師にお招きして、学生たちが殺陣を学んでいます。また、年に一度、合同合宿を行っています。この合宿はまだ2回しか行われていませんが、20人近くが参加し稽古を通じて交流をはかっています。今年度は劇団から社会人の演劇人をお招きし、合宿内でワークショップのようなものも行いました。この合宿で、しばらく途切れていた東海大学阿蘇キャンパスと熊本大学演劇部の交流が復活しました。

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(合宿での一コマ)

課題はたくさんあります。まず、情報を発信する人、イベント・ワークショップなどに参加する人に団体内で偏りがあること。また、団体外部への情報発信ツールが現在ツイッターのみであること。そして、一番大きな課題が、連盟を維持しようと思う後輩が現れずに、団体の機能が縮小してしまうことです。

今のところは、この団体を自分の挑戦したいことや、情報交換に利用している学生がおり、ワークショップには毎回学生が必ず来ています。しばらく途切れていた2つの演劇部同士の交流が、合宿初回以来の1年半は頻繁に行われるようになりました。演劇部が、定期的な活動はまだ出来ていないものの、二つ立ち上がりました。また外部の方から、学生がたくさん集まっているところとして、学生への紹介の案内などが来るようにもなりました。少しずつ状況は変わっているのかも知れません。

(劇団「市民舞台」、熊本学生演劇連盟・馬渡直実)

2015.10.04

コラム│鹿児島いいとこ一度はおいで(鹿児島)

鹿児島を拠点に活動している、劇団鳴かず飛ばずの原田耕太郎です。
今、「変な劇団名」と思ったあなた!大丈夫、僕も思っています。

少しだけ、思い出話をします。僕が芝居を始めたのは15年前の15歳の時でした。そして高校卒業後、先輩の作った劇団に所属したのですが、当時の鹿児島は、劇団同士の横の繋がりが少なく、また、30代以上の劇団もほとんどない状態でした。するとどうなるかというと、「自分たちの芝居が一番面白い!」となります。比較対象がいないわけですから当然の結果です。さながら、先生のいない自習時間です。今にして思うと何だか残念な感じですが、逆に、先頭切ってノビノビと芝居ができる環境でした。

その当時、芝居の先輩がよく口にしていた言葉が「鹿児島で600名呼べるようになったら本物だ!」というものでした。
たしかに、当時の平均集客数は150~250名程度が多かったように記憶しています。

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鹿児島の演劇の問題としてよく語られるのが、「観客の不在」です。観客のほとんどが、
団員の知り合いであり、手売りでチケットをさばいている状態でした。観客が不在ということはすなわち、演劇文化が全く根付いていないという状態です。

そんな井の中の蛙な僕たちでしたが、ここ10年の間に、鹿児島の演劇界もどんどん変化しています。
県外で活動していた芝居人が鹿児島に帰って劇団を立ち上げ、30代以上の芝居人が徐々に増えていったり、県外公演を行う劇団が出てきたり、演劇協議会が発足されたり。
劇団鳴かず飛ばずも、必死にあがき、5年前の公演で動員700名越えを達成できました。当時思っていた「本物」にはまだまだ程遠いですが。

演劇未開拓地の鹿児島で芝居を続けて思うことは、観客に育てられ、そして、一緒に育っているという感覚です。少しずつ「演劇が好き」「この劇団が好き」という方が増えていき、
ずっと芝居を見続けてくれている方などは、どこかの評論家よりも的確なダメ出しや感想をくれたりします。そうした観客の「芽」を育てて行けるかどうかも僕たちが芝居を鹿児島で続けていく大きな意義なのだと感じます。

そんな成長期にある鹿児島ですが、10月31日より「第30回国民文化祭かごしま2015」が開催されます。国体の文化団体版、らしいです。

その中で現代演劇の祭典も開催され、県外からの公募公演や招聘公演、鹿児島演劇協議会プロデュース公演や、市民参加型の公演などさまざまな公演が行われます。
国民文化祭には、初めて芝居するという方も大勢参加しています。今までどこに隠れていたんだ!と驚きを隠せないですが、やはり、鹿児島はまだまだ、種まきが足りないなと実感した次第です。自分が芝居を始めた頃、何もかもが新鮮で鮮烈でどんどん芝居にはまっていった様に、国民文化祭をきっかけに、芝居にはまって抜け出せなくなる人が増えることを願ってやみません。そうなるために必要なのは、そう、観客の目ですね。皆様、10月31日、11月1日は鹿児島へお越し下さい!

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地方における演劇事情というのは、今更僕が語るまでもない話で、鹿児島が抱えている問題等もおそらくどの地域でも当てはまっているものだと思います。

もっと突っ込むと、結局のところ、地方演劇が抱える問題の解決策はただ一つ。
面白い芝居を作り続けること。これ以外に道はないと思っています。

「鹿児島の演劇は30年遅れている」と言われたことがあります。
そうか、30年か。30年前といえば1985年。僕の演劇人生のバイブルである、第三舞台の「朝日のような夕日をつれて‘85」が上演され、夢の遊民社がブイブイ言わせ、キャラメルボックスが旗揚げした年です。

なんだ、鹿児島の演劇は今が全盛期ということか!

劇団鳴かず飛ばず・原田耕太郎

2015.07.31

コラム│巻き込み、巻き込まれながら結びつく演劇(宮崎)

宮崎県演劇協会の黒木朋子です。
宮崎の演劇を言葉で表すならば、巻き込み、巻き込まれながら盛り上がっている。
という感じでしょうか。

宮崎の演劇を語るには外せない「こふく劇場」と、これも演劇を語るには外せない三股町立文化会館の、文化事業「まちドラ」は4年目で、チケット入手が困難なほど、盛り上がっています。九州各地から演出家や役者が作品を上演し、町民も作品に参加、町の至る所で演劇が行われるという、町中を巻き込んだ人気のイベントです。
また、企画を中心としたユニット「あんてな」は、東京を中心に活躍する本田誠人氏の作品を中心に、毎回プロデュース公演の形をとり、劇団の枠を越えて役者が参加しています。20140725_203422

こういったプロデュース公演も年々増え、宮崎はここ数年、毎月のように公演が催されるほど、活動が盛んになっています。
世代を越えた交流もあり、客演が多く見られます。
これは、都市部の演劇界ではあり得ないことだそうですが、劇団で公演を行う際、役者・スタッフの人数不足、キャストの年齢層の問題等から、他の劇団等に助っ人を頼まざる負えない事も原因なのかも知れません。
そんな切実な事情とはいえ、横のつながりが強く、いつのまにか巻き込まれながら、新しい作品に取り組める楽しさが宮崎にはあると感じます。
ただ、観客についても劇団員同士で観に行く現状は、どの地域も同じかも知れません。新しい観客も巻き込みたいところです。

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昨年度は、そんな宮崎の演劇人をより強く結びつける年となりました。
宮崎市制90周年の関連事業として、宮崎市の会館主催で、8月9日~10日に『波の上の青い島』を上演しました。これは、宮崎県演劇協会の設立25周年記念公演でもあり「協会加盟劇団の役者による出演で、宮崎市を舞台に・・・」という事で、宮崎(日南)出身の中島淳彦さんに脚本・演出を依頼したもの。

なんと開催当日、台風の接近により県内の公共施設が行事を取り止めるなか、公演初日は、多少無理やりぎみに公演し、台風で来場できないお客様のためには、2日めのの夜公演を急遽追加して、計3回の公演を行いました。この3回目の公演は、半券を持ってくれば無料で入れるというおまけつき。制作期間も、台風のような状況でしたが、そこは各劇団のアイデアで何とか乗り切り、 結果的にお客様にも大変喜んでもらえる作品となりました。

こういった経験が強みとなり、今後は、観客をも巻き込みながら、更にの演劇は止まることなく盛り上がっていくのだろうと思うのです。

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宮崎県演劇協会・黒木朋子

2015.05.08

コラム|演劇やろうぜ(長崎)

オイッヒュ!

長崎県を拠点に活動をしている劇団ヒロシ軍・座長の荒木宏志(27)です。
今の長崎の演劇事情を簡潔にドカンと箇条書きでお伝えしますね。

○長崎は10代後半~20代の役者が圧倒的に少ない(特に男!!!)
○長崎の若手劇団が無い(ヒロシ軍より下の劇団が出てこない)
○長崎は『高校生の頃は演劇部だったんですよ』と言う役者やめてる人が多い(何故、今、やらない?)
○長崎で本気で役者を目指してる人は福岡や大阪、東京とか都会へ行きがち(まぁ、気持ちわかるよ)

まぁ、てな訳で、どこの地方の演劇事情もこんな感じじゃないんですかね。
何でか知らないけども、本当に若い役者が少ないんですよね。特に男の子!
女の子は比較的、多いんですよ。だけど、男が少ない。いや、マジで。いや、何で?
この謎について、考えてみたけれど、答えなんて出てきやしない。良かったら、みんな教えてください。

あと長崎の若手劇団がいつまで経っても出てこない!!!
それは何故か?
やる気のある役者は長崎を出て、都会へ行きがちだからだ!!!
いや、別に良いんだよ。都会へ行って、もっと演劇を勉強したいとか、あの劇団に入りたいとかって目標があって、行く分には全然かまわんぜ。
だけどね「長崎では無理だから」って決めつけて、都会へ行く考え方なら改めてくれ!そんなことないんだから!

何も考えず都会へ行って、一人暮らしを始めて、演劇やりたいけど生活するためにバイト漬けの日々を送る人がほとんどじゃねぇか?
んで燃え尽きて、長崎へ帰ってきて
「あ、帰ってきたんだね!演劇やろうよ」と言っても
「いやぁ~もう、演劇はいいかなぁ・・・」ってなる人をけっこう見てきたんだ、俺。

長崎に残れば、都会行くより確実に多く舞台に立てると想うよ。

koma(長崎県諫早市にある独楽劇場)

だってね、実家暮らしと一人暮らしの差って、かなり大きいと想うんだ。
いきなり、一人暮らしを始めれば、生活に慣れるまで時間がかかるでしょ?
もしかしたら、生活していくのにいっぱいいっぱいで演劇活動どころじゃないかもしれんぜ。
それよりか実家暮らしのほうが(ちゃんと親にお金を渡し、ありがとうと言う)生活面で心配することはないんじゃなかろうか?
どっぷりと演劇活動に専念出来るんじゃなかろうか?
そんな俺は一人暮らしでも実家暮らしでもなく車中泊でございます。家に帰らないからね。
それに今ではSNSがあるから、Twitter、Facebook、ブログを始めて
公演やります!って告知するなり、演劇について熱く語ったり
県外の劇団とのやりとりもTwitterとか使えば、挨拶だって出来るし
自ずと県外の劇団たちにも、情報交換出来ると想うんだよね。
そうすれば、県外でやってる演劇の大会とかの情報を知れたり、他の劇団の公演の情報を知れたりするじゃん?
そんな感じで劇団ヒロシ軍も長崎を拠点にして、佐賀、福岡、熊本と行かせていただきました。
(※うちの県にも来てくれーって方、良かったら声かけてよ!フットワーク軽いから行くよ!)

gekitotsu(北九州で行われた演劇大会「劇トツ×20分」 舞台裏にて)

てなわけで、結論!

地元に残って、演劇活動すればフットワーク軽いよ、いや、マジで!
それに今、長崎で活動している劇団の数は本当に少ないよ?
(※ひとつひとつの劇団は本当に素晴らしい劇団です。ヒロシ軍より先輩劇団だから、おべっかを使ってる訳ではありません)

だからさ、今、あなたが本気で演劇をやりてぇんなら、場所なんて関係ないんだよ。
どこでだってやれんだよ。
今、長崎で劇団立ち上げたんなら、競争率低いから長崎一位になれるかもよ?
まぁ、荒い文章にはなってしまいましたが
とりあえず、つべこべ言わずに演劇やろうぜ。

劇団ヒロシ軍・荒木宏志

2015.03.24

コラム|民と官の共働で育つ演劇活動(大分)

こんにちは! 大分県の片田舎九重町に暮らす小幡です。よろしくお願いします。
私は九重町の演劇活動の起こりについてお話しします。

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子育て中にコンサートや演劇を親子で観たいと思うと、福岡や大分に一日がかりで出かけるしかない状況だった。母親たちで劇団に招く計画をしても「ホールがなければ・・」と断られるばかり。「体育館でもいいよ」と言われた時、涙が出た。初めて出会った「劇団 風の子」。その舞台を観た親子のはじめる笑顔を忘れることができない。

私たちは「ホールのある文化センターが欲しい」と陳情しながら、町内の体育館を回り年1回の公演活動を続けてきた。平成7年度、文化センター建設がスタートし完成は11年3月となった。当時、私は教育委員会にいたので、杮落しは町に伝わる長者伝説をミュージカルに創作しキャストは町民とすることを提案した。しかし「のど自慢」や「アーティストの招聘」が意見の大半を占め、予算のこと、指導者のことで創作劇などあり得ないとされる意見に押された。センターは誰の為に作られるのか、客席で見ているだけでは町民が主体者にはなれないのではないか、町民が舞台に立ちスポットを浴びる経験こそ施設は私たちの物と実感するのではないかと説得を続ける傍ら、経費を見つけるために県や民間の助成事業を探し、地域創造の助成を取り付けることができた。指導者は県内の大学や新聞社などに協力を求め、台本・演出(県民演劇代表)・音楽(大分大学・県立芸短大)の先生方に了解をもらった。県内の第Ⅰ人者が集い、町民に本気で指導を頂き、3年半の努力で杮落し公演は大成功に幕を下ろした。

制作の途中で芸短大の先生に「歌は本当に下手。うちの学生を使いなさい」と言われて、私は「町民でなければ、町の文化活動は続きませんから」と答えたが、不安はぬぐえなかった。演出は「たとえ100円でも料金を頂く以上、素人だからという甘えは許さない。懸命さが君たちの最大の武器。10年努力すればきっといい舞台になる」と話してくれた。田舎であっても機会に恵まれれば実現する夢があることを知った町民は劇団を結成し毎年1回の公演を続けている。継続していく中で会員は減少していき、キャストの確保に悩みながら、県内の同士とつながりを深めたいと願っている。

今年の2月1日、町制60周年を記念して、町民創作劇「観八翁物語“笑門”積善の家に余慶あり」という郷土の偉人の生涯を描いた作品を上演、1年間の取り組みだった。

脚本・演出は御縁の深い先生方にお願いし、照明・映像など専門的なものを除くスタッフ・キャストは町民で総勢80名を超える大きな舞台となった。今では演劇やミュージカルが町民の中で定着し、資金や宣伝に大きな力を寄せてくれている。

九重町

民と官が共働で作り上げようと努力する姿が九重町民の誇りです。
九州各地で演劇活動を続けられる仲間の皆さんのご活躍をお祈りします。

町制60周年町民創作劇制作委員会事務局
小幡千種

2015.01.31

コラム|「想い」のゆくえ(佐賀)

佐賀東高校演劇部顧問の彌冨公成(いやどみこうせい)と申します。県高文連演劇専門部では委員長をさせて頂いております。

佐賀東高校演劇部の2014年は、なかなかの多忙でした。青年会議所、佐賀大学医学部、市のPTA協議会、佐賀いのちの電話など、様々な団体からテーマを与えられての依頼公演を行いました。県外では、大阪のすばるホール、道頓堀ZAZAhause、かごしま県民交流センターなどでも公演させて頂き、トータルで新作10作品、のべ22会場での公演となりました。2014年度佐賀県教育長表彰、そして九州高校演劇研究大会でもありがたい賞を頂き、今夏の全国大会(びわこ総文祭)に九州代表として進出することができました。

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私は「いやどみ☆こ~せい」の名で台本の執筆にあたり、昨年書いた原稿用紙を数えると1000枚以上になりました。顧問経験14年目にして過去最高記録かも知れません。そんな私の本業は、国語教師です。ちょっとカタい話になります。高校国語においては近年、「表現力」なるものの伸長が求められており、それが「生きる力」育成のカギを握るとされています。小中学校でも「上手に表現すること」が求められ、広用紙(今は電子黒板)を指さしながら、「大きな声で」「わかりやすく」「論理的に」説明する力、討論で「相手を説得させる」力を身に付けるための授業が展開されています。「自分の考えを積極的に述べよう!」「相手を説得できるようになろう!」なんてことを目標にするわけです。積極性があり理論武装をした大人たちがあちらこちらに棲む未来は……ちょっと怖いですよね。それに、日本が大切にしてきた『謙譲の美徳』(佐賀由来の『葉隠れの精神』なんてものもありますが……)、そんな感覚も薄れていきそうな気がしなくもありません。ですが実際は、皮肉なことですが、そういった心配は要らないようです。なぜなら、「想いを自由に表現しよう」なんて言われても、彼らの多くが「もともと『想い』なんて持っていない」という、根本的な問題を抱えているからです。

東京医科歯科大学の調査によると、最近「味覚障害」の子どもたちが急増しているそうです。「甘い」「苦い」などの味覚を認識できない子どもが30%にものぼるとのこと。「子どもが同じようなものばかりを食べている」ことが原因らしいのですが、なぜそうなるかというと、「親が子どもに『今日はどんなものを食べたいの?』と聞いてしまうから」だとか。子どもの側からすると「食べたことのないもの」はリクエストのしようがありませんので、いつも似たようなメニューのローテーションになる。子どもたちが「自由」に「好きな」ものを食べられるようになった結果、複雑な味を感知するセンサーが働かなくなってしまったのです。

「味覚」と「感受性」を一緒にしてはいけないのかもしれませんが、強制されることなく自由に好きなものに触れることのできる子どもたちは、興味外のものに触れる機会を逃し、得られるべき多様で有益な感受性を得られずに生きているのかも知れません。「想い」のバックグラウンドとなるもの……知識や体験、感じ取るセンサーの欠如。「表現力の育成」のためにアウトプット(出力)の質を向上させようと躍起になってはみたものの、子どもたちの「想い」の根源となるものをうまくインプット(入力)させられていない……。「自由」という魔法の言葉や、学校教育のこういった弱さも、子どもたちの「感受性障害」に拍車をかけてしまっているのです。

去年の春のことです。

「世界遺産候補『三重津海軍所』」を扱った劇を書いて欲しい」という突拍子もない依頼が来ました。「顧問も生徒も郷土の歴史のことをよく知らないので、資料をください。」と申し出たところ、DVD1枚と薄いパンフレットを頂きました。ですが1時間の芝居を創るには情報不足でした。図書館に行っても参考となる文献はありません。切り札であるはずのインターネット情報は、パンフレットと同じ。地元の歴史に詳しい方に聞いても、「あまり文献が残ってないんですよね」とのこと。「インプット」できるものが圧倒的に足りない状態で、県や地域の「三重津海軍所の世界遺産登録を目指す」熱心な方々を前に芝居を上演せねばならない。困りました。

「調べても情報がないのなら、現場に。三重津海軍所跡地に行ってみよう!」

生徒の一言がきっかけで、皆で自転車をこぎ、現地に赴きました。河川敷まで来ましたが、案内の看板などはありません。公園に自転車をとめ、スマホで位置を確認しました。

「もう少し下流だろ。」
「あの橋の下あたりが怪しい。」

建物の跡や石碑などがないかを、散々歩いて探しました。しかし、何もありません。日が沈み出したころ、一人の生徒がスマホで古地図らしきものを見ながら声を上げました。

「場所、わかった!」
「え、どこよ。」
「さっき自転車置いた公園。」
「……は?」

佐賀の未来を担うべく、佐賀藩の誇り高き有志たちによって建造された海軍訓練所は、石碑ひとつ残すことなく広場になっていたのです。「○○病予防の劇」や「○○防止の劇」などをいくつか書いてきた私も、さすがに行き詰まりました。そんなとき、生徒たちが口々につぶやいたのです。

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「どうして壊したんだろう。」
「残す意味を感じなかったのかな。」
「それはないでしょ。日本で初めて実用的な蒸気船を造った海軍所だよ。」
「『葉隠れの精神』とか?派手に誇ることを好まない佐賀人の性格?」

「軍事的な建造物は、敗戦の際に壊されたんじゃない?」
「平和のためってこと?まさか。」
「てか……、壊されて悔しくなかったのかな。」
「誰が?」
「ここで生きてた人たち。」

この子たちにはもともと「佐賀への誇り」などはありませんでした。でも日本で最初に造られた実用型蒸気船「凌風丸」は現存せず、日本に誇るべき業績を有明海の泥にまみれながら積み上げてきた海軍所は、150年後の今、小さなジャングルジムになっている。そのことへの疑念、悔しさ、哀しさが、彼女たちの魂を揺さぶりました。「インプット」できるものはありません。ですが、未来のために積み上げてきたものが壊されてしまった佐賀藩士たちの「痛み」を想像し、彼ら勇士たちが想いを託したはずの「未来の佐賀人」としての使命を感じながら、今の自分たちにしか語れない「想い」をつくり上げていったのです。

「ものはなくても、想いはつながる。私たちが『演劇』で残せば、佐賀藩士たちの想いは未来に受け継がれる。」

その芝居は「やる気のない高校生たち」が、地域からの要望で強制的に「凌風丸の模型を造らされる」ところから始まります。高校生たちは暇つぶしに皆で自転車こいで海軍所跡に向かいます。でもたどり着いたところはちっぽけな公園……。

「三重津海軍所、どうして壊したんだろう……。」

誰かがつぶやき、過去と現在が交錯しながらストーリーは進んでいきます。佐賀に生きる高校生として、何を感じ、あのだだっ広い『遺産』に立って、何を『想った』か……。そのまま素直に表現しました。

こうして、佐賀東高校演劇部作『明日のきみへ』が完成。8月中旬の大阪、そして8月24日の佐賀城にて公演となりました。

「私、将来は佐賀で働いて、佐賀の劇団に入りたいな。」

佐賀東2resize「東京」やら「関西」やらを口にしていた生徒が、この劇を終えてからそっとつぶやきました。刷り込みも感化もありません。与えられなければきっと知るはずも、想像するはずもなかったこと。でもそこから生じた衝動を起点にして、大切な人生を考えたのです。

「積極的に想いを表現しなさい」とせき立てられ、戸惑えば「何でも、自由にいいんだよ」と微笑まれる。いよいよ切羽詰まったときには「コピペ」に頼ればい。そんなことを繰り返していくうちに、自分には「想い」がないことに気付く。でも、なんとなく生きていける。若者にとっては、そんな時代です。

一方演劇に携わる高校生たちは、昨今問わず、「表現すること」を自らに課さねばなりません。「どんな劇をしようか」と話し合ったところで、何かしらのバックグラウンドとなるものがどこにもない……。「ならば体験をモトに書こう」となると、「いじめ」や「SNSでのトラブル」などに行き着く。気合いを入れて稽古し、演劇祭に出してみると、他校も同じような舞台を上演していた……。そんなことが多々あります。ですが、「芝居作り」なんて特異な体験をしない限りは、彼女たちは「スマホばかりを見ていた自分の横顔と真剣に向き合う」なんてことはなかったはずで、「人に見せる芝居」としての価値はともかく、その芝居を通じて自身が多くの何かを得ることになるのです。

高校演劇を「枠にはめて創ったもの」「自由のないもの」だと卑下してしまう人もいます。そう言われても仕方のない部分もあります。でも、そんなどこにでもありそうな芝居ひとつひとつは、数少ない「インプット」にしがみつきながら、「それでも自分の『想い』を表現しなければ!」と必死にもがいている、闘いの結晶でもあるのです。しがみついて、道に迷って、時には興味外からの強引な要望に応えながら、でもそうやって世界を広げていけば、もっと人生を楽しめる人間になれるかもしれません。結果、単なる自己満足になるでしょう。でも、人間が自己満足を否定したら、「じゃあ何のために生きてるの?」ということになってしまうと思うんです。彼女たちが「周囲を楽しませること」に満足を見出せるようになってきたら、世界もほんの少しだけ幸せになると思います。

授業が終わると、いつもの日常が待っています。

「先生、次の劇、どんなのにします?」
「どんなのでもいいよ。お前らはどんな劇がしたいの?」

稽古場で寝転びながら私は、結局はこんな大人の決まり文句を吐き、部員たちは笑いながらこう返します。

「じゃあ、先生の想ったことを『自由に』書いてください。」

2014年は、「与えられた」年でした。「生かされた」年でした。
でも、部員も私も、いつも以上に「生きた」年でした。
今年も幸せな日々を生きていこうと思います。

佐賀県高文連演劇専門部委員長・佐賀東高校演劇部顧問
彌冨公成

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